2025年2月7日
2025年2月7日
ホームページを東北工業大学にお勤めの山口さんに直していただいた。
「思うこと」という、何か一言書く欄も設けてくれたので、何か書こうとしたが、思いつかないので、過去の出来ごとから。
いまから22年前の平成15年2月14日から17日の三泊四日で、韓国に行ってきました。目的は仙台商工会議所婦人部と光州市の女性経済人協会との交流支援計画を進めるためでした。この企画のきっかけは前年開催された日韓共催のワールドカップ。スポーツと若者たちのエルネギーによって、日本から一番近い外国と、より親しくなれたので、仙台商工会議所婦人部でも韓国の婦人経済人と交流してはどうかと呼びかけ、当時婦人部の広報委員だった私が仙台の韓国領事館と連絡を取り合い、ようやく実現したのです。
仙台からは私を含めて16名の女性経営者が参加し、随行者一人のメンバーで訪問すると伝えたら、向こうでも同じ数だけのメンバーで空港まで出迎えてくれ、市長主催の昼食会や女性経済人主催の夕食会を開催して大歓迎。特に夕食会には多数の経済人が出席するという接待ぶりに、「彼女たちが仙台にいらっしゃった時に、これほどの歓迎会を開催することができるだろうか」と、ある意味で後が大変かなと感じました。
光州市は人口138万人。三国時代に百済に属していたこともあって、日本とは深い関係にあり、キムチの本場でした。そのキムチ、あまりに美味しかったのでお土産に持ち帰ろうとしたら、ラップで丁寧に包んでくれましたが、飛行機の気圧のせいかボンボン膨れ上がっていまにも爆発寸前でした。あの一件から、キムチのような発酵食品は、飛行機に持ち込んではだめだなと思いました。
帰国して翌日の2月18日、韓国南東部・大邱(テグ)市の地下鉄「中央路」駅構内で地下鉄放火事件が起こり、死者192人、負傷者148人の大惨事がありました。
2025年2月9日 東北大学名誉教授 永野為武先生のこと 俳句では永野孫柳先生
昭和五十五年、宮城県文化問題懇話会委員の頃、座長は永野為武先生でした。十五名の委員の内訳は七名が大学教授、他に放送、新聞、経済界、医療界、劇団、文化協会、芸術界から一名ずつ。そして私はタウン誌の代表者として委員に。
若いということもあって、委員会では言いたい放題、先生方にはたいへんご迷惑をかけたかも知れません。私は「宮城の文化、地方の文化を語る場合、地域個性を守り育てていく方言的な観点から、地方の「方」を、「衣」「食」「住」につけることによって、「方衣」「方食」「方住」をすべて考え、これを文化と産業に結び付けられないか、等という意見と、「ニオイ」「フェロモン」にこだわった意見を述べました。
これに対し座長の永野先生は、専門家の立場からいろいろの話をして下さいました。その上、ご自分の大切な研究論文をまとめて箱詰めにし、まるで勉強しなさいと諭すように、送ってくれました。科学の専門用語が多くて、それらの論文は私の頭では読み切れません。
スズメの京都弁と仙台弁 でも、研究者の仕事、科学の奥深さは身に沁みました。中でも、「あはぁ、そうなんですか、面白い」と、笑っちゃいけないけど、しっかり覚えていること。それは、方言を生物学・科学的に分析し、人間生活と関係のある動物に方言はあるかということを調べ、極端に言えば仙台のスズメと京都のスズメの鳴き方が違うことから、風土性とか環境と密着した情報をもっていることがわかっているとの話がありました。つまりスズメの京都弁と仙台弁の説明を聞いて、研究者はすごいものだと感激しました。他に「ニオイ」「フェロモン」と産業とが結びついた例として白石和紙の話。これもしっかりと覚えています。
ミミズと白石和紙 「ニオイ」と文化に関しては、それぞれの教授から「ニオイと味の研究」「ニオイと病状」「ニオイと都市」「ニオイの地理学」等の説明がありました。
その後、永野座長から、樹木もニオイを発散しており、白石の河川に使われたコウゾの根は、ミミズが嫌い、ミミズがいないとこれをエサとするモグラや野ネズミが棲みつかないから土留めに適しており、さらにコウゾは和紙の原料となったと、まるで謎解きのような地場産業の起源を教えていただきました。しかも、これが藩政時代の政策であったと聞いて、河川法では川の土手にコウゾを植えるなど聞いたこともないので「江戸時代、誰がミミズとコウゾの関係を調べたのだろう」。そして永野先生は、他の地域に無い土留めについて、いつ着目したのだろう。コウゾの根を集めてミミズが嫌いだってことをどのようにして突き止めたのだろうと、先生に更に詳しい研究内容をお聞きしたかったものです。
さて、永野先生は俳人としても有名で、私の手元にはこのベージの上に掲載と「山吹の 一弁捉う 風みたり」の二句があります。図書館に飾ります。
他に、仙台市立八木山小学校校歌の作詞もなさっています。